認知症の義母が突然2階へ・・第33話

要約

ある夜、義母が突然、2階に押しかけてきました。私はたまたま入浴中で家内が応急対応です。通常、家内は義母のボケ攻撃に辟易して21時ごろには2階に上がってきます。義母は22時の就寝までの1時間を独りで過ごします。それが寂しいのかどうか・・。肋骨の骨折はまだ完治していないし、患部が痛いはず。起きてから寝るまで「あ痛たた!」です。それにも関わらず、100歳の義母のまさかの階段一気上がりです。骨折からもう約3週間経過してますが、頑丈な義母に絶句です。

本題

義母の肋骨の骨折は順調に回復しているとは言うものの、痛みは依然として続いているようです。骨折してから既に2週間経過していますが、痛みが多少、軽減しているのかどうか本人に聞いても要領を得ません。こっちとしてはどの程度の「あ痛た!」なのか、知りたいのですがさっぱりです。

その義母ですが、四六時中「あ痛た!」と言っている割には、もうさほど痛くは無いんじゃ無いかと思わされたことがあったのです。痛み止めの薬はもう出てないので、痛みはかなり軽減してるのではないか、と。

昨夜、私が風呂に入るとき、義母の部屋の灯りは消えていて寝ていたはずでした。バスタブに浸かって静かな夜のひとときを楽しみながらバスタブに入っていました。すると、突然、階段の上がり口の灯りがパッと点灯しました。それから誰やら階段を上がって行く音が響いてきます。

この時間に2階に上がるのは義母しかいません。100歳の老婆が階段をほぼ私と同じ速度で上がって行くのです。そのうち、家内と義母の話し声が聞こえてきて、家内が「どうしたの?」「何よ!」と言っています。それに対して義母が家内に答えているようです。

それはまるで志村けん演じるおばあさんと、そっくりな言い方でした。志村けんの番組は好きだったので良く観てました。とくにおばあさんのコントがお気に入りでした。その話し方です。入れ歯を入れてないと思うのでそんな話し方になるんでしょうけれど、いま思い起こせば、志村けんの演技力は半端じゃないなと妙に感心しました。

ところで、義母です。家内と3分ぐらいやり取りしてから、家内と一緒に降りてきました。義母は降りながらいつもの捨て台詞です。そしていつもの自虐バージョンです。「こんなんじゃ、もう、お父さんのところは言った方が良いね」「生きててもしょうがないね」と家内を牽制しています。

どうせいつも1分後には何事も無かったように収まるので、家内は「はいはい」と適当に言いながら、部屋に連れて行きました。100歳だから這って上がったのでしょう。しかし、肋骨の痛みを訴えていながら、2階に難なく上がる体力と気力は凄まじいものです。驚かされました。義母の気力については、理性のフィルターが効いてないので、限度枠が無限なのかもです。その体力はいやはや・・。

翌日、このことについて家内と話し合いました。以前からの懸案事項ではありましたが、義母が2階に上がれないように何らかの手を打つ必要があると。階段で転んだり滑ったりしたら、一大事です。

腰か足の骨折で寝たきりになってしまうと、本人にとっても私たちにとっても双方の利得はゼロです。回避できるはずのリスクをわざわざ引き込んでしまうからです。両者がそこそこ満足できるためには、いまのような同居形態ができるだけ長く続いてくれることです。

話し合いの結果、階段の上がり口に扉を設置するか、階段の上がり口に人感センサーによるアラーム装置を設置するかの2択と言うことに。そして、ドアよりアラームの方がかなり安いので(以前、調べているので)、まずアラームを設置(介護保険を適用できるかどうかも含め)を早急に検討することにしました。ドアは費用がかかる上に、義母が気を悪くするかもしれないので却下です。

なぜ、張り紙(危ないから階段を上がらないで声を掛けて)を無視して突然、上がってきたのか、つらつらと考えました。以前にもこのことに触れましたが、1階に独りでいることが寂しいんでしょうか。そうした欲求不満が積み重なって、ボケを超越して突然の行動に・・ですかね・・。分りませんね・・。

第33話を有り難うございました。

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