プロフィール

ニックネームはテイクファイブです。若くはないですが世情に明るく、程よく人情味ある人生を模索中です。

  • 長いこと会社員でした。いまは勤務日数を減らして契約会社員です。
  • 経済科学研究科修了です。
  • 趣味は音楽鑑賞、読書、写真撮影です。
  • 私生活では義母の在宅介護の毎日です。私は家内をサポートしながら、補助員としても自分なりに活躍しています。私の実の親の介護も家内が在宅でやってくれました。家内には頭が上がりません。

介護しないわけには

ブログの第1話で、義母の介護に至った経緯を紹介しています。この内容は第1話と重複するかも知れません。このブログを始めてから義母が誕生日を迎えたので、いま、99歳です。認知症は相変わらず進んでいますが、健康で胃腸が丈夫なので105歳まで行きそうです。

私たち夫婦は義母とは別の場所で暮らしていました。義母には当時、住んでいた家に義母専用の部屋を作って同居を何度も促しましたが、家を離れないと言い張り、聞く耳を持ちませんでした。そのうち、ボケが年々進んで薬をちゃんと自己管理できなくなりました。そして、私たちが同居することになりました。

数年間にわたる説得も糠に釘(ぬかにくぎ)状態でした。義母の粘りというか、ボケゆえの頑固一徹と言いますか、折り合いをつける結果として、こうなった感じです。・・介護しないわけには行かないですからね。

幸い、私は現役ではなくなって、毎日、通勤しないので、家内のサポート(家事の内、力が入り用な仕事)をしています。引っ越し前の家では、私の両親の介護を家内にやってもらいました。両親はとっくにこの世にはおりませんが、家内には自分の命が尽きるまで、頭を上げないつもりです。

当時、私がいくら仕事を優先したとは言え、家内にそれを押しつけてしまった後ろめたさは、消えることはありません。そのこともあって、介護のための同居には、さほど抵抗はありませんでした。これまでのことを考えたら、とても返しきれませんが、少しでもの家内への恩返しです。

でも、実際に在宅の介護生活に入ると、正直に言って、介護を軽く考えていました。こんなに大変だとは・・。認知症の介護は、そう簡単ではありませんね。家内が介護した私の親の場合、母が寝たきりから認知症、父が認知症でした。・・大変だったと思います。そしてこんどは認知症の義母です。家内の精神力に感心しつつ、家内への恩返しと親孝行の気持ちが、無残にも砕け散ってしまうほどの葛藤の毎日です。

今度は家内に報いるぞ!と思っていますが、葛藤をどのように消化して行くか・・なかなか難しい問題です。いずれは濁った水が清流に浄化されて行くように、順応して行くんでしょうね。兎に角、決めた以上、頑張らないといけません。

これから、家内を中心とした介護生活を、家内のサポーターの私がいろいろ綴って行きます。

コンテンツはいまのところ古い順に1話から始めています。増えてきましたら、新しい順にするか、目次を作って検索しやすいようにするか、目下、思案中です。よろしくお願いします。