認知症の義母の時間感覚・・第47話

夕食を終えた義母が、食器を片付けようとしている家内に「○○ちゃん、後は私が片付けるから」・・義母がそれを問題なくやっていたのは10年以上前です。ところが、本人の話す感じは毎日やっている雰囲気なのです。

廊下では手すりを伝ってなんとか歩いているにもかかわらず、そのことは全くないかのように「片付ける」とごく自然に話すのです。長谷川和夫『ボクはやっと認知症のことがわかった』ではアルツハイマー型の認知症の場合、過去と現在がごっちゃになってやってくると説明されています。

この話題については以前にも綴っていますが、毎日、義母と家内のやり取りを聞いていると、なるほどとつくづくと思うのです。何十年も前のことをまるで昨日あったことのように話しますし、現在と言うこの時点に過去をなんなく織り交ぜて話を成立させてしまうのです。

この矛盾したと言うか矛盾だらけ混沌と不整合性。しかし、脳が壊れている義母には正常なのかも知れません。・・翻って、まだまともな私の脳機能について考えてみると、日頃、当たり前にやっていることが、義母の世界と比べ、高性能なコンピュータでやっとこさ処理しているレベルだと思うのです。

学者や専門家の方々にとっては既知の知識なんでしょうけれど、脳機能が壊れた義母を観ていると、人間と言いますか、生物の脳組織は人知を超えた創造物なんですね・・。

・・子供の時から大人の現在に至るまで、その時代に遭遇したり起こった出来事を時系列に整理しています。それも無意識、自動的に。そして、その情報を取り出すとき2秒もかからないように思います。

それぞれの情報を、場合によっては、分野毎に整理整頓して保管、そして必要なときにまさに瞬時に取り出すことが出来ます。こんなに凄い性能だった脳を十分、使いこなさなかった自分の愚かさを笑うしかありませんが、ま、いまさらです・・。

そう考えますと、壊れてもなんとか家族の一員であろうとしている義母のひたむきさには、一瞬、たじろぐほど驚いてしまいます。同時に修復できない脳組織と闘っている義母を、理解してあげなければ、と思います。いまや義母は弱者になってしまいました。私たちはそんな義母を救済しないといけないと言う思いを改めて強くしています。

第47話を有り難うございました。

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