認知症の義母のトイレが危うい・・第48話

要約

義母がトイレのライトをつけないまま入っていました。スイッチを入れることを忘れてしまったのか、寝ぼけてスイッチの位置を忘れたのか・・分りません。いずれにしても何かが起こる雰囲気十分です。

本題

「お母さん、トイレがいよいよ危うくなってきたわよ」と家内が言うのです。昨日の夜、トイレのドアが少し開いているので、家内が中を見るとライトをつけないで義母が座っていたと言うのです。

トイレのドアを開けたまま入っていたり、電気を消さないで出てしまったりは時々ありましたが、ライトをつけないで入っていたケースは初めてです。義母がトイレのドアを少し開けて入るため、通路の灯りが少し差し込んでいて真っ暗と言うわけではないにせよ、この状態ではトイレの中で転んだり、或いはトイレの後始末が不十分になったりと心配の種が増えるばかりです。

取り敢えず、トイレのライトを感応式に替えて、誰かが入ると点灯し、出ると暫くして消灯となるようにします。電気のスイッチを入れたままで義母がスイッチを触れないようにもしないといけません。来月中に義母のためにトイレの工事をする予定ですが、そのとき、スイッチの位置を変更する予定です。

・・スイッチをつけたり消したりの注意は難しいでしょうね。張り紙をしますが、寝ぼけ眼でトイレに来るので、張り紙を見たり見なかったりでしょうね・・。義母を叱るわけにも行かず、穏やか気味に注意しないといけません。

認知症の場合、怒ったり叱ったりは御法度です。そのうえ、補聴器をつけているとは言え、普通の話し方だとちゃんと聞こえないようです。怒鳴ってはダメ、小さい声はよく聞こえてない、ほどほどの割合で本人をへこませないように注意する・・気も遣いますが頭も使います・・。

若いときには子供に毎日、大きい声で注意することは若さで乗り切ることができたものです。叱っても子供の立ち直りは早いし・・お互い理性を超えた信頼関係がりますから。ところが、老老介護ではそう簡単に暗黙の信頼は成立しません。親子とは言え実に不完全な信頼関係なのです。

義母が認知症と加齢のために、思考範囲が狭くなっているので、私たちのことを斟酌する余裕はゼロに近いようです。それがために私たちの義母への気遣いを余儀なくされるわけです。ストレスは増えるばかりで解消努力をしても差し引きマイナスなんでしょうね。

私たちの介護境遇よりもっとご苦労されている方々がいます。それに比べると、私たちの場合、経験が浅くてまだまだ甘いのかも知れません。楽をしたいと考えれば、介護生活は苦労の連続。これが当たり前だと思えば、苦労では無くなる。・・そうなるにはまだまだ時間が掛かりそうです。できれば人生、介護生活に遭遇しないで済むならそうしたいところ・・そんなわけには行きませんね・・。

次回の介護査定でランクが上がるとしても、在宅介護の状況にさして変化はありません。デイサービスに行ってない時間帯はつきっきり状態。・・義母なりに懸命に生きているでしょうから、これはもう、やるしかない、と家内と話しているこの頃です。

第48話を有り難うございました。

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